私がゲルソン療法の映画を作った理由

私は中東地域を取材するジャーナリストとしてキャリアを積んできました。イラク戦争、ガザからの撤退、レバノンの戦い、イラクにおけるアフマディーネジャードの台頭、パレスチナ地区におけるハマースの議席獲得、その他にも強烈な出来事の数々を取材してきました。その私がどうして、突然、がんの栄養療法をおこなう人々のドキュメンタリーを作ることになったのかと、皆さんは不思議に思うでしょう。

 

レバノンでのある取材を終えアメリカへ戻る時、少しだけ、まったく違うことがしたいと思ったのです。何か、もっと重くない、やさしいことを。休みが必要だったのだと思います。戦争、苦難、人々の目に溢れる痛みから、少しの間離れる必要がありました。

薬としての食事?

ある日、ニューヨークでラジオを聴いていると、シャルロッテ・ゲルソンの講演が流れていました。「“がんの治療法”はずっと前に発見されている」と声の主は叫んでいました。

 

とんでもない大ウソと思い、彼女の言いっぷりに腹が立ったほどです。

 

私には腫瘍専門医の親友が2人います。彼らの有能さと仕事への情熱は素晴らしいもので、私は個人的にその苦悩をよく知っていますし、彼らでさえ患者をがんで失っています。

 

技術革新と薬品開発は進んでも、そして、科学者たちの情熱やたくさんの資金が注ぎ込まれても、私の親友たちは患者の命を簡単には救えないのです。

 

バカげたことと思いながらメモを取り、大声で叫ぶ高齢女性がラジオで言っていたことを調べました。同じころ、メキシコの代替療法病院を取材する企画を雑誌社に持ち込みました。人生でいちばん辛い時期にあるがん患者たちをメキシコの病院は餌食にしている、そんなテーマで企画を持ち込みました。戦争報道より楽というわけではありませんが、やる価値があると思ったのです。

 

非情な死は遠い中東だけのものではありません。静かな死は身近にもたくさんあります。

 

よく調べてみてわかったのは、ゲルソン療法の背後にいる人物は想像していた詐欺まがいの医者ではなく、むしろ、正真正銘本物の医者のようで、華々しい経歴も持ち、同業者からも一目置かれた人らしいということでした。アルバート・シュヴァイツアーから、“医学史のなかでも卓越した天才だ”と言われた人物でした。

 

興味をそそられ、ドイツ語を読める私は昔のドイツの医学雑誌や医学記事で彼について調べました。その独特な食事療法を、当時は不治の病とみなされていた皮膚結核の患者に適用した大がかりな研究がありました。重症の皮膚結核患者450名を対象とした臨床研究で、現代では胸部手術の父と呼ばれるフェルデナンド・ザウエルブルク教授が指揮をとり、驚くべきことに446名が完全に治癒していました。

取材を始める

私の好奇心はどんどん刺激され、サンディエゴにあるゲルソン・インスティテュートにアポを取り代表のアニータ・ウィルソンに会う約束を取り付けました。

 

笑顔で出迎えられて、あらかじめ用意された答えを聞かされて、適当にあしらわれる、そんなよくある面会を想像していました。誰でもジャーナリストに嗅ぎ回られるのは嫌なものです。ましてや、物議をかもすことが多いがんの代替療法を推進する組織です。

 

ところが、アニータは一人のジャーナリストが彼らの仕事に関心を持ったことに心から喜んでいるようで、私のリクエストにすべて応えてくれました。治療中の患者さん、回復した元患者さん、ゲルソン・インスティテュートの記録、ゲルソン一家の歴史、ハンガリー、ルーマニア、メキシコでゲルソン療法を行っている医師たち。不満を持って辞めた元スタッフや、治療が失敗した患者にも会ってみたいと考える私を、彼女は止めようとしませんでした。

 

この頃には、“患者からお金をだまし取る詐欺療法”というストーリー仕立てが私のなかから消えていました。私の取材に警戒し隠し事をする様子が相手にはまったく見られなかったからです。むしろ、私の取材は歓迎され、かつて面会を申し込んだどのような政府機関の担当部署よりも透明性があるように感じました。この療法が実際にがんを治せるかどうかはわかりませんが、少なくとも、ここの人たちはそれが可能だということを確信しているのだと思いました。

 

後にインタヴューした通常医療の医師や研究者たちは、ゲルソン療法については軽く笑い飛ばすだけでした。「がんをニンジンや浣腸で治すなんて。ニンジンを食べてがんが治るなら、もうやってるよ」。(もちろん、ゲルソン療法はニンジンと浣腸だけの治療ではありませんが。)

究極の考え、究極の選択

ゲルソン療法の有効性を統計的に判断する材料が少ないなか、私はこの療法から直接影響を受ける人々にフォーカスしました。患者たちです。この療法の実施には2−3年かかります。この療法の全体を知るには、数週間の取材で記事を書いてきた今までのやりかたとはまったく違う方法が必要です。それで、雑誌に持ち込んだ企画はあきらめました。

 

そのかわり、ゲルソン療法のスタートから終わりまで取材させてくれる患者たちを探すことにしました、すべてカメラ取材です。ドキュメンタリー映画『THE FOOD CURE』を作る長い旅がこうして始まりました。

『THE FOOD CURE』予告編(オリジナル英語版)

「がんは世界中で増えています」

「美しい赤ちゃんを授かったのに半年後にがんを診断されました。どん底に突き落とされました」

「乳がん、トリプルネガティブ、グレードⅢと診断されました。私がいなくなったら誰が子どもたちを育てるのでしょう」

「生存率がものすごく低いことがわかりました。本当に恐ろしかったです」

「いったい何が足りないのでしょう?」

「医薬品はまだ開発の途上にあります」

「抗がん剤、放射線…。わたしのなかの何かが “それじゃない” と言いました」

「じつは、私たちが知らないだけで、治癒はすぐそこにあるのでしょうか?」

「代替療法を探し始めました。自然な方法を使う治療を」

「いろいろ探してみて、希望の光が見えてきました」

「栄養療法です。あなたはあなたが食べたものでできているのですから」

「悪い食べ物が問題を引き起こし、良い食べ物はその問題を体から追い出します」

「30%のチャンスしかないと言われ悩みましたが、何か別のことをしなければならないと思いました」

「私たちはこの戦いへの準備ができているでしょうか?」

「親は子どものことを第一に思って道を決めますが、その選択が親としての法的責任を問われることもあります」

「これは2年間に及ぶ治療プログラムです」

「医療保険が使えません」

「療法を始めて2ヶ月で、離婚を考えました」

「何かをたたき壊してやりたい気持ちになりました」

「6人の患者たち」

「1つの究極の選択」

「がんとの戦いに勝ちたいならすでに勝った患者を研究するべきです」

「THE FOOD CURE」

https://www.thefoodcurefilm.com

The Food Cureは、長編ドキュメンタリーです。ゲルソン療法をおこなうという究極の選択を決断した6名のごく普通の人々を追ったストーリーです。The Food Cureは、がんの代替療法の世界を患者の至近距離から記録したもので、食事、健康、これからのがん治療に対して大局からも考えさせられる稀な作品です。現在、日本語字幕版が制作途中です。

 

サラ・マブローク監督は映像とジャーナリズムの修士号を持ち、中東地域を取材するリポーター兼カメラマンとして、写真、ラジオ、TVニュース(AP通信、BBC、CNN、ABC、NBC、FRANCE24、Eenvandag、ZDF)などで活躍してきました。THE FOOD CUREは、彼女にとって初の長編ドキュメンタリー作品です。

コピーライト:ゲルソン・インスティテュート

著者:サラ・マブローク

日本語訳:ゲルソン・アンバサダー、氏家京子

 

原文掲載URL:https://gerson.org/gerpress/why-im-making-a-documentary-about-the-gerson-therapy/