ゲルソン・インスティテュート誕生のエピソード

1964年、一人の航空技師として仕事をしていたアメリカ人男性ノーマン・フリッツ(1949年カンザス大学卒業)が、インターナショナル・アソシエーション・オブ・キャンサーヴィクティムズ&フレンズ(IACVF)設立者セシル・ホフマンに出会いました。

 

セシル・ホフマンはカリフォルニア州サンディエゴに住む英語教師で、乳がんの治療で根治的乳房切除術(全摘出術)を受けた3年後の1963年に、乳がんの再発、余命数カ月、その後にできる一般の医学的治療が無いことを主治医から告げられた女性でした。

 

ワラにもすがる思いで見つけ出したのが、当時から現在に至るまでアメリカで未承認のがん治療、ビタミンB17(レトリル)点滴療法でした。この療法を受けるために夫とカナダのモントリオールにあるマックノートン・ファウンデーションへ行き、そこでセシル・ホフマンの病状は回復し始めました。

 

その後、サンディエゴの自宅からでも通院できるメキシコのティファナに同じ療法ができる腫瘍専門医Dr.アーネスト・コントレラスの病院があるのを見つけ、引き続きビタミンB17点滴療法を継続して治療効果を得ることができました。

 

この経験を他のがん患者と共有するため、彼女は同年7月にIACVFを設立しました。全米にIACVFの活動が伝わり支部が誕生する中でもっとも大規模な活動に成長したのがロサンゼルス支部で、それが後のキャンサー・コントロール・ソサエティー(CCS)を生みました。

 

ノーマン・フリッツは、このセシル・ホフマンとの出会いから、世の中には成果を出しているがん治療が数多くあるのに、知られることもなく、理解されず、ときには一般的な医学を推進する組織や政府機関から誤解され、抑圧さえされている事実を知りました。

 

その後、彼はIACVFの活動に共鳴し、理事、副会長、会長を務め、キャンサー・ニュー・ジャーナルの編集者、記者としても働きました。

1973年にはIACVFのロサンゼルス支部を運営していた中心メンバーたちとキャンサー・コントロール・ソサエティー(CCS)を共同設立し、副会長を務め、1987年からは会長になりました。

 

キャンサー・コントロール・ソサエティー(CCS)

http://www.cancercontrolsociety.com

 

1974年、ノーマン・フリッツは成果を出しているがん治療の一つとして、Dr.マックス・ゲルソンが確立したゲルソン療法を医者や一般の人たちに教える一大プロジェクトをDr.ゲルソンの三女シャルロッテ・ゲルソンと始めました。シャルロッテは父親Dr.ゲルソンの臨床を最晩年まで支えた、ゲルソン療法の生き証人のような存在でした。

 

二人の尽力の末、1977年にメキシコのティファナに入院治療が可能な医療施設としてゲルソン・クリニックが誕生し、アメリカのサンディエゴには研究・普及・教育を行うゲルソン・インスティテュートも設立されました。インスティテュートは翌1978年に非営利組織となり、ノーマン・フリッツは1995年までゲルソン・インスティテュートの共同代表を務めました。

 

ゲルソン・インスティテュート

https://gerson.org

 

その後、ゲルソン療法は、シャルロッテ・ゲルソンとゲルソン・インスティテュートが中心になり全世界に広められました。

シャルロッテ・ゲルソンは90歳を過ぎるまで世界中で精力的に講演活動を行い、毎週メキシコのゲルソン・クリニックを訪れて入院患者を励まし続けました。すべての業務をゲルソン・インスティテュートに託した後は長女が住むイタリアで晩年を過ごし、2019年2月10日に96歳10ヶ月の生涯を終えました。